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デジタルビデオと行くシルクロード
15、砂漠の「用足し」について

さて 、乗客も運転手もほとんどがウイグル人で、よそものは私一人だ。
わたしが一言も話せない日本人であることはことはすぐバレてしまう。で地球を読んでいると、持っていかれて、回し読みされる。そもそもこのような本がないことと、ほかにすることもないので、一人10分は読んでいる。
そして、デジタルビデオを見せると、おお喜びで「おれも撮ってくれ」とせがむ。

写真1
液晶パネルを回転させると自分の顔が写るので皆さん大感激。

写真2
このバスにはカセットプレーヤがついていてイスラムの音楽がなりっぱなしでした。全旅程からみて、これは驚異的な「豪華装備」です。左手の網棚は交代運転手のためのベッド。
 

叶城の町で 、かなりの人が降り、空席ができる。わたしは、窓際の席に移動出来た。あいた補助席を中心にトランプが始まる。このような余裕ある車内は、後にも先にもこの時だけだった。大体、後で思うにトランプができるような路面状態の所は、そうはなかった。この路線は、幹線ではないから、交通量が少なく、路面の痛みが少ないのかもしれない。
そのトランプゲームを興味深そうにのぞきこむ窓際の美しい女性がいつまでも記憶に残る。


さて 、ウイグルの女性達はどうして用を足すのだろうか。砂漠の中の休憩では、まったく障害物がない。それは、大きなスカートを広げて、そのなかでズボンやパンツを下げるのだ。
夕方になって、運転手の「お気に入り」スポットで30分ほど休憩があった。ここは、ポプラ並木の水路のほとりで、家や店など何もない、畑地帯だ。
みんな、水路に行って手を洗ったりしている。ところが、ひどいオバサンを目撃してしまった。そのオバサンは、すこしだけ下流に行って、水路際にしゃがみ手を洗うような振りをして、用を足しているではないか。ほかの人たちは、水路から離れた所でやっているにもかかわらず。こらっ!

イエンギサルから 黒衣装の男女が乗ってきて 、わたしに何かを話し掛ける。わたしが「わからんのよ」という顔をしていると、ホータンから一緒の乗客が「この人は日本人だ」という。その頃までには、なんとなく仲間感覚ができていたのです。
その言葉にイエンギサルからのってきた全員が「これが日本人か。中国人と変わらんじゃんか。」というような興味深そうな顔でじろじろ見つめる。

そして、 夜の9時頃 、バスはカシュガルのバスターミナルに。バスのすぐそばまで来ているタクシーがあったので、もう疲れた私は、ついそのお世話になってホテルに直行した。
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