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デジタルビデオと行くシルクロード
21、これが寝台バスだ
さあ、クチャまで16時間の寝台バスの旅だ。 写真1
各地に向かってスタンバイするバス。

待合室にいくと、きのうの案内係りの男がいて、私を見つけて親切にウルムチ行きはこっちだ、と案内してくれる。
わたしは、パンと水を調達してから乗り込む。この売店では、サンドイッチのたぐいはないが、菓子パンはある。一方、途中の休憩所には「ナン」のたぐいのパンだけだ。とにかく、これだけあれば、道中でのパニックはさけられる。まるで登山とおなじだ。

写真2
砂漠を疾走する寝台バス。
  幸い、前の方の右の下段に陣取れる。このバスの横には、「デラックス寝台特急バス」と書いてある。これからエアコン・トイレつき、全席予約の高速特急を連想しそうだが、それは甘いのだ。たしかに、製造後5年くらいの比較的新しい車だが、空調なんてあるわけない。ただし、暖房用のパイプがしっかりとおっている。ベッドが2段あるのでちょっと背が高く、安定性に不安な気もする。特急といっても、街角で手を上げればのせてもらえる。
事実、若い嫁さんとその母親らしい人が途中から乗って途中で降りていった。その嫁さんは、靴をはいたまま、はしごを登ってわたしの上のベッドにもぐりこんだ。私は、上を向いて寝ているので、この場合にかぎり、スカートだと辛い物がある(゚レ゚)。なお、この嫁さんはズボンでした。

ベッドは3列に並んでいる。ベッドというより、フルリクライニングシートといったほうがいい。前の席の頭の下の部分に足をもぐりこませる訳だ。靴を脱いでベッドの下にいれ、荷物を枕代わり、足置き代わりにして楽な姿勢をとると、まあ、ファーストクラス並みの体位はとれる。(乗ったことないけどね。)しかし、そのシートの汚ならしさは比べるべくもないが。飛行機なら毛布がある所を、薄いふとんがある。

さて、発車前、ウイグルの老人と乗務員の強烈な口論が続く。どちらも譲らない。当然、話しの内容は分からないが、上段のキップで下段に陣取って動かないようにもみえる。結局、老人の粘りがちでそのまま発車した。一切のアナウンスがない。
例の案内係りがのっている。えっ、彼は車掌だったの? (そのうち、彼は運転もした。)
  写真3
サービスエリア(かつての宿場か?)で休憩する。ここでヌードル等で腹ごしらえをする。

オアシスはまばらだが、無人の荒野というわけではない。5時頃休憩して、そのまま夜まで走りとおす。
8時か9時ころ夕食ストップがあるかとおもいえば、はずれで結局次の大休止は朝の3時(新彊時間なら1時)だった。

カシュガルの街をぬけて、ちょっとした峠をこえて、あとは天山山脈のすそを走る単調な道。左が天山山脈の終わり、右がタクラマカン砂漠の始まりというその境目に道がつけられている。ここが一番道がつけやすい部分であり、この線に沿って集落があるのだ。
この区間で砂嵐にあった。前方が吹雪の時のようにかすんで見える。突入すると前が見えなくなり、バスは30キロちかくにまで減速した。歩いていた人は、しゃがんで顔を伏せ、ひたすら嵐が通りすぎるのを待っていた。あたりには何にもない荒野の中である。

写真4
砂漠をひたすら東へ。
  夜のシルクロードは結構車がとおる。ウルムチからカシュガルまで48時間はかかるから、昼も夜も無いわけだ。眠くなったら、「旅社」と呼ばれる安モーテルに泊まればよい。
3時の夜食のためのストップで「クチャには何時に着くか」と聞くと、8時だ、という。運転手には自分がクチャで降りることを印象付けておかねば。
夜の運転は結構大変だ。60キロ台で走りながら、前方の穴や橋の起伏を検知してスピードを落とす。さもないと、上段の人が転落するかもしれない! さらに、ちょっとでもぼんやりすると、道路の外に出て、横転することになる。一応、道は洪水に備えてかなり盛り上げてあるから。
夜の地平線のかなたからトラックが次々と近づいてくるのはある種、壮観である。
とにかく、寝台であったために、時間の割には快適な移動が出来た。また、このバスは比較的新しく、故障はなかった。

クチャには、明るくなってしばらくした7時すぎに到着した。いいタイミングだ。
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