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39、東トルキスタン共和国

東トルキスタン共和国 なんて、聞いた事ありますか。

これは 、中国のウイグル人たちの独立レジスタンス運動にかかわる幻の国、表立っては口にできない言葉なのです。


もともと ウイグルの人たちが平和に住んでいた所へ、長年に渡って中国人が入植してきた。そして、北京の権力と「つるんで」新彊を統治している。 ウイグルの人たちはおっとりしているのかどうかは知らないが、要職はほとんど中国人が占めています。たとえば、今回、具体的に話しにのぼったのは、獣医とか農業改良指導員とか石油採掘の技師です。東部から、技能を持った人がやってくるのです。アメリカの「西部開拓」を連想させる部分がありますね。ただ、ウイグル人は多いので、インディアンのようにとっちめて隔離する、なんてことはできません。

でも 、どの町でもかならずウイグル人たちが住むごちゃごちゃした家畜といっしょの旧市街と中国人たちがすむアパートのならぶ新市街に分れます。もちろん、旅行者にとって興味深いのは旧市街です。さらに、社会資本も新市街に投下されているのがわかります。

北京政府も 不満を抑えこむために社会資本の集中投下を行っています。 結果として、鉄道建設、駅、中国銀行、バスターミナル、空港はそこだけアンバランスに立派に出来ています。一応、道路建設にも資本投下されているのですが、「広さ」、「ひんぱんな洪水」、「交通量の多さ」のために焼け石に水的な部分があります。


さて 、官憲はウイグル人たちの独立を目指した動きを封じるために「破壊防止法」的な、厳しい弾圧活動を行っています。事実、省都ウルムチでは、独立を叫ぶ人たちによる爆弾テロも起きています。 また、不穏な動きにそなえて、検問も厳重です。橋など要所には遮断器のついた検問所があります。バスは停められて、「あやしい者はいないかな」と厳しい目つきで中を見まわします。(身分証明書の提示までは求められなかった。)

また 、随所に軍の基地があります。基地はオアシスを外れた吹きっさらしの砂漠の中にあるので、派遣された兵士には辛い物があります。こういうところで「武装蜂起」が起きても援軍が到着するまで何日もかかりますね。辺境の警備の困難さを垣間見ました。ただ、どこの基地にもパラボラがあるので、衛星通信はしっかり利用しているみたい。(電線じゃどうしようもないものね。)


さて 、98年8月下旬の毎日新聞には、ウイグル独立を叫ぶ5人の青年が別々に北京を経由してシベリアに亡命した、という記事が1ページの半分を使って載っていました。カシュガル、ホータン、アクスといった町から出た人たちでした。

私は 、こういった人たちの動きを支援したい気持ちですが、独立にむけての道は険しそうだし、旧ソ連の共和国の現状を見るにつけ、もし独立してもかえって経済的に困難になる事は見えているように思います。 そういう複雑な立場におかれたのが今日の新彊・ウイグルです。
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